「なぜ、久高島に行くの?」と多くの人に聞かれます。
でも、この季節になると、 なぜかここに帰りたくなるのです。
ここは、私の魂の休息の場所かもしれません。
「なぜ、ここに帰りたくなるのか?」 それは、ここで心を洗うため。
日常の中で澱んだ心を洗濯し、 より透明な自分に戻るのです。
聖俗半々 何かのご縁に導かれるように
久高島に来てから12年が経ちました。
そして、この旅が癒しの時間になりました。(聖)
人はありふれた日常の中で、自分を抑え、 ストレスを抱えて生きている。(俗)
だから、人には魂を解放する 時間と場所が必要なのです。
濁ったら透明に、また澱んだら透明に、
魂の浄化を続けながら聖なる場所で、 新たな自分に生まれ変っていく。
そんな魂を解放する聖なる場所に、
その時々に必要な人をお連れしてきました。
共に語り、ともに歩き、ともに歌った。
それぞれの旅ごとに、求めるメンバーが集い、 出会いがあり、感動があった。
人生にも、同じ瞬間は無いように、 旅にも一度として、同じ旅はなかった。
久高島への旅は、今回が最後のような気がします。
少なくとも皆さんをお連れしていく 久高島への旅はこれが最後、
次の魂の休息場所を求めて、 来年からは新たな旅へ向かいます。
今回は最後の久高島をじっくり味わいたい。
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